第16回:「バーコードの人」

第16回:「バーコードの人」

掲載日:2005年2月8日

執筆者:株式会社スクウェイブ
経営管理室 吉浦 恭子

今回はバーコード・ヘアについて述べたい。

たまに見かけるバーコードの人。まだ生えている髪を目一杯伸ばして、髪が薄い部分にペッタリと張り付け
る。何もしていないのに、ある日気が付いたらバーコードになっていた、ということはありえない。当然、自らの意思でセットしているのだろうが、敢えて不自然に見える「バーコード」にするのはなぜなのか?もしかすると、当人は効果的な方法だと思っているのだろうか。

髪の薄さをバーコード・スタイルで隠すという行為は、中途半端に隠すと いう意味で、足が太い事を気にしている女性が長めのスカートを着用することに似ていると思う。はっきり言ってバーコードも長めのスカートも、逆効果としか思えない。中くらいの長さのスカート(ふくらはぎの真ん中くらい)で足を隠すくらいなら、思い切って足を出してしまった方が太さは目立たないものだ。これは昔、自分自身で試してみたことなので間違いない。ただ、スカートは着用すればいいだけなのに対して、バーコード・スタイルは手間暇がかかる。その分余計に「触れてはいけないもの」のように思えてしまう。

隠そうとしているけれど隠しきれていない…。なんだかこちらが切なく なってくる。バーコードに到達するまでの屈折した(?)思いが伝わってくるような気がする。だから、バーコードの人と会話する時はどうしても慎重になって しまう。髪の毛に関する話しは間違ってもできないし、目線も頭部に持っていかないよう心がける。こんなシチュエーションを経験したことがあるのは、私だけではないだろう。バーコードにしている人は、周囲の人間に普通以上の配慮を強要していると言えるかもしれない。しかも髪の毛について、本人が気にしている ことを強調している。

私は髪がない人をどうこう言うつもりはない。身体的特徴を中傷するのは人としてやってはいけないことだ。私だってデブだのブスだの言われたら腹が立つ。

髪の毛がない、それはそれでいいじゃないか?外見でしか判断できない人 なんか放っておけばいい。ヘタに隠そうとせず、堂々としていればいい。その方がすがすがしくてカッコイイ(何を隠そう、私はジャン・レノの大ファンだ)。 勇気のいることだけれど、真実は隠すよりも正直に公開してしまった方がうまくいくし、次のステップも見えてくると思う。これは仕事でも恋愛でも、何にでも 当てはまることだ。

例えば今問題になっている北朝鮮の拉致問題。日本が科学的な証拠を突き付けても、横田さんの遺骨は本物だと言って譲らない。誰が見てもウソをついているのはバレバレなのに、必死に隠そうとしている。往生際が悪いし、後々自分達の首を締めることになるのは明らかだ。三菱自動車の欠陥車問題も然り。最初から事実を公表していれば世間の風当たりもここまで厳しくはなかっただろう。ドラマ「白い巨塔」の財前教授だって、誤診を隠ぺいしなければ裁判沙汰にならなかったかもしれない。少々話しが飛躍したが、やはり何事もありのまま見せた方が自然だし、反感も買わないものなのだ。

そうは言っても、個人的に気になる部分を表に出したくない気持ちは良くわかる。どうしても隠すんだったら周囲が過剰な気遣いをしなくてもいいように、完璧に隠してほしい。「大きなお世話だ!」とお叱りを受けるかもしれないが、あくまで私のプライベート・オピニオンということでご容赦ください。失礼しました。

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